こっちゃんとちゃんぽん

精神限界集落の徒然日記

コール・ミー・こっちゃん

こっちゃんです。

 

今日は、私にとって大切な「こっちゃん」についてお話しします。ここまで何度も連呼しているそれは、もちろんニックネームで、私にとってすごく大切なものです。
そんな「こっちゃん」にまつわるセピア色の思い出の、はじまりはじまり・・・

 

中学1年生、他の小学校から来た子とも打ち解けてきた頃に仲良くなった女の子がいました。少し気は強いけど、私が冗談を言ったりおちょけたりすると、よく笑ってくれる子でした。休み時間の廊下や階段で手を繋いで歩くのも、何も特別なことではありませんでした。

 

そんな彼女がいつからか、私を「こっちゃん」と呼び始めました。
後々身バレしたくないので詳しくは言えませんが、それまではとんちきなニックネームだったり、姓名そのままだったりで、密かに友だちからニックネームを付けてもらう事に憧れていましたから、当時の私は彼女とより親密になれたように思えて喜んでいました。彼女の高い声で呼ばれると、何だか恋をしているかのような気持ちになっていました。

 

冬休みを控えて、「年明けに図書館で宿題をしよう」と二人で約束をしました。その日を待ちながら、私たちはメールでずっとやりとりを続けました。けれど、「祖父が買ってくれたワンピースを着て行くから可愛いと言ってね」と言った彼女が着るはずだったワンピースを見る事はできませんでした。
当日の朝、何を着て行こうか服を選んでいると、母が「図書館で勉強なんて進まないから行くな」と言い出したのです。私は意味が分かりませんでした。でも、もっと納得できないのはドタキャンされた彼女の方である事は明らかで、泣く泣く送ったメール以降、彼女と話すことのないまま私の中学校生活は終わりました。

 

けれど、最後の最後に泣くほど嬉しかった事が起きたのをはっきりと覚えています。
卒業式から数日後、1年生の頃のクラスメイト数人が集まって県外の高校へ行く子を送る会が行われ、私も彼女も参加していました。相変わらず目も合わせられずに、それぞれが別の事をしていたのですが、彼女が料理をしている時に「こっちゃん」と私を呼んだのです。彼女の声で再び呼ばれた瞬間、彼女に対する思いがやっと涙を拭った気がしました。母を恨む気持ちも無くなっていました。

 

私たちは時々、過去を悔いたり時を戻せたらと思ったりしますよね。でも、せいぜい頭の中での再演くらいしかできず、実際には決してやり直すことはできません。だからこそ、一瞬一瞬が尊いものなのだと思います。成長のためには必要な苦痛なのかもしれません。
スティーブ・ジョブズは今日が人生最後の日だとしたら云々と言いましたが、私には毎日悔いなく過ごすなんてムリです。今日も何もできなかったと、焦りと情けなさばかり感じています。それでも、それらの感情は自然なものだと受け入れる寛容さと、昨日も今日も明日も等しく大切に思える心のゆとりが人生を豊かにするのではないでしょうか・・・な〜んてね。